樋口一葉とは日本の作家であり、1872年(明治5年)5月2日に、東京の内幸町で生まれました。戸籍名は、樋口奈津ですが、本名の奈津よりも「夏子」を用いることが多かったために、樋口夏子がもっとも一般的な呼び方として通っています。

樋口一葉の肖像は、日本銀行券として、女性では初めて紙幣の肖像に採用されました。2004年11月1日より発行されている、新5千円札に印刷されています。ちなみに、樋口一葉の前の5千円札の肖像は、新渡戸稲造でした。

父は、甲州の農家の生まれであり、のちに同心株を買って、士族の仲間入りをしました。一葉の学歴については、当時の小学校制度はまだ整ってはおらず、吉川小学校に3年半、青海学校に2年、通算して5年半の通学となっています。

満11歳で小学高等科第4級卒業が、最終学歴となっています。小学校制度が整ったのは、明治15年5月のこととなります。当時の東京府の女子の就学率は、50パーセント以下でした。

1886年(明治19年)には、一葉は中島歌子の歌塾である「萩の舎」に入塾し、めきめきと頭角を現すこととなります。その翌年の1887年(明治20年)に兄を亡くし、翌々年には父親も亡くなったために、一葉は17歳という若さで、家督を相続します。

母と妹を小間物屋を営みながら、養うことになりました。つつましい生活を余儀なくされ、「萩の舎」で講師もやりながら、生活を支えました。

1892年(明治25年)、処女小説である「闇桜」が、雑誌「武蔵野」に掲載されます。その後、1895年(明治28年)より、「たけくらべ」「大つごもり」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」などを次々と発表します。樋口一葉の代表作である「たけくらべ」は、古典的な名文章で書かれた作品であり、優れた描写背景とともに、思春期の少年少女の心理を、的確に生き生きと捉えており、日本文学史上の傑作のひとつといわれています。

1896年(明治29年)11月23日、肺結核によって、樋口一葉は亡くなります。肺結核はその当時は、治療法のない病気でした。8月に回復が絶望的との診断が下され、11月23日に、享年24歳と6カ月で亡くなりました。

墓地は、築地本願寺となっています。樋口一葉の作家生活は、わずか14カ月という短さでした。死後の翌年1897年(明治30年)には、「一葉全集」「校訂一葉全集」が刊行されました。